徒然と思う事

 
未だに疑問に思うのだが、「自国の戦闘員の被害」を防ぐために、
「敵国の非戦闘員(自国民の捕虜を含む)」を大量無差別殺戮したアメリカは、
中国や韓国に対する日本のように、頭を下げたことがあったのだろうか。
それどころか、賠償を1銭でも払っただろうか。
中国における便衣兵などと比べようもない、普通の善良な民間人だったのに。
 
今更アメリカに謝れと言うつもりは無い。
かのガキ大将な友人に、そんなことを期待するのは馬鹿げている。
我々が大人な態度でいてやれば、とりあえずは上手く行く。
わざわざ無邪気なガキ大将の精神レベルに合わせて議論する必要は無い。
外見上は良い大人である彼に、面と向かって批難してもしょうがない。
 
日本はもっと上手く立ち回るべきだ。
ガキ大将のプライドを維持しつつ、世界平和へ誘導することが、
今の日本の立ち位置ならばできるはずだ。
ただ、メンドクサイからやろうとしないだけで。
 
戦争に対して、日本はもっと敏感で良い。
核兵器をなんの問題意識もなく使用するハリウッド映画を見て、
我々はもっと激怒し、途中退場しても良い。
大人向けの映画で「善対悪」の二元論を考え無しに利用する映画に、
全米NO1などとつけて恥じない文化を、もっと嫌って良い。
 
同盟とは友人関係ではなく、ただの戦略的判断なのだろうか。
それは、日本の友人への慈愛と寛容の結果だろうか。
それとも、日本の敗戦国としての戦後は終っていないということか。
とりあえず、日本はアメリカの属国である、というのは世界の常識らしい。
 
そもそも、想定された「自国の戦闘員の被害」は正確な数字だったろうか。
休戦に向けて外交チャンネルを探っていた日本に対して、
それは本当に必要不可欠な戦略判断だったのだろうか。
ソ連の参戦や戦後の利害調整に対応して、大きなパフォーマンスが必要だったのではないか。
 
「白い人間の戦闘員」が死ぬより「黄色い猿の非戦闘員」が死んだほうが良い。
という人種差別的な発想は皆無だったなどと、本気で言えるのか。
真珠湾攻撃は白い人間には可能だが、黄色い猿には不可能」と考えてた国が。
 
ヒロシマナガサキは、大量殺戮者を罰する戦いを起こすことを選ばなかった。
そんな余裕はなかっただけかもしれない。
だが、実際にヒロシマナガサキが選んだのは、ひたすらに復興だった。
ひたすらに、豊かで平和な街の再建を選んだ。
 
建設的な言動は、建設的な思考を生む。あるいは地獄の記憶か。
ヒロシマナガサキは、核兵器アメリカに報復しようなどとは考えない。
 
ただ、あんなのは二度とゴメンだ。と思うだけ。
 
アメリカよ。我が友人にして、世界のガキ大将よ。
「正義」の殺戮者よ。世界の警察(自称)よ。
どこに行くつもりだ。そっちは忌まわしい過去だ。
あんた、低俗な映画の見過ぎじゃないのか。
善悪二元論がどんなに危険か、ホントに分からないのか。
それとも、分かってないふりをしてるだけか。
 
とにかく
「あんなのは二度とゴメンだ」