考えるな、感じろ!(苦笑)

安心のファシズム 〜支配されたがる人びと〜 ISBN:4004308976
 
を読んだ。文庫本なので、さっくりと。
 
忘却の旋律のベースにあるものとして私が何度も書いた、
「支配者に依存した人びと」
とまったく同じ題名だったからだ。
第1章にあたり、イラク人質事件での自己責任論が出ていたのも理由。
 
確かに、自己責任を問われる部分はあっただろう。
だが、それを大義名分にした、鬱屈した悪意の噴出を著者は見る。
それにつけこんだ、支配者の狡猾な振るまいを見る。
なにより、その狡猾さに気付かない人びとに、驚く。
 
後半では、政策の中身より、分かりやすさや好感度、親近感で判断する、
まったくもって「合理的でない」有権者の姿が描かれ、
ジョージ・オーウェルの小説「1984」amazon:1984における「新語(ニュースピーク)」と、
ブッシュ・小泉両氏の語録の共通点が描かれる。
 
「新語(ニュースピーク)」とは、
簡潔な言葉の使用しか認めないことによる思考停止を狙った言語統制である。
人々から考える道具を奪うことにより、効率的支配ができる、というわけだ。
 
真に恐ろしいのは、それが実に合理的だということなのだ。
人間の平等や自由を顧みなければ、それは実に効率的で理想的なのだ。
 
そして、それは支配者にとっても被支配者にとっても、幸せであるかもしれないからだ。
 
というわけで、当初の期待とはうらはらに、実際に書かれているのは、
・支配される側の閉塞感・思考停止
・支配する側の傲慢・不遜・狡猾
であって、支配されたがる人びとの心理、という視点はイマイチ弱い。
支配する側の手練手管については、興味深かったが。
 
ここで提示されている支配の強化は、
むしろ、かのレッシグ教授の、
CODE(ISBN:4881359932
コモンズ(ISBN:4798102040
Free CultureISBN:4798106801
を連想させた。
 
自覚なき支配、被支配。テクノロジーが可能にする、暗黒面。
心地よい情報、心地よい環境の中で、人は思考停止する。
 
我らが民主主義の体現たる議員様が、
「消費者利益なんてバカなことは考えないで……」
などと本気で言っていることを、我々は知らない。
 
ちょっと冷静になって見れば、
「お前らは余計な事を考えるな。我々の言う通りにしてれば幸せだ」
というコメントが、婉曲表現であふれかえっているのを、
なかば、無意識に無視している事実に気付けるはずだ。
 
私は、大抵のことは苦笑いですませる事大主義者だが、
心の底からの怒りを感じないではいられない。
 
人間は、もっとマシなものになれるはずだと、私は信じる。
 
あまり関係がないメモ
 
 大学では基礎演習でやってたことだが、ディベートリテラシーってのが、
 もっと早期の教育で取り入れられるべきなんじゃないだろうか。
 議論の仕方は、重要な思考の道具であるからだ。
 
 ネットリテラシーとして一番大事なのは、
 情報の取捨選択は、個人個人がすべきことなんじゃないか、ということ。
 あるいは、取捨選択の基準が選択できることが、重要なんじゃないか。
 
 自由は戦って勝ち取るものだ。
 どうやら、戦わないといけない時期が近いらしい。