今週の忘却の旋律

圏外圏編 ミトラノーム
 
ということで、忙しくて見逃してるうちに、
ソロが「メロスの戦士がモンスターキングを倒すと、次のモンスターキングになる」
などと、私の予想そのままのことをのたまわったらしく、
あながち、わたしのこむづかしい予想も捨てたものではない、などと自惚れたり。
 
今回、チャイルドドラゴンが言った
「メロスが秩序を乱す」「社会不適応者め」
という台詞。
確かに、それは向こう側から見ればその通りなのだが、
メロスは一個人の意思と知性で判断する存在であり、
「秩序」や「社会」が間違っていると感じた時に、
それらを変革し得る、恐らくは唯一の存在である。
 
ここらへん「革命権」の思想が近いかもしれない。
「秩序」も「社会」も、永遠に変わらないものじゃない。
 
そしてもう一つ、ユニコーンシリーズの4号。
他者のいない世界で、自己の拡大のみを目指す野生。
「自分ではないもの」に対する自然発生の憎悪、敵意。
他者との交流は、直接的には不快なのものなのである。
 
ココが、他のユニコーンシリーズを人間として扱う以上、
「処分する」という言葉は、殺人の決意である。
他者を受け入れられない存在は、社会にとって危険である。
その存在が、巨大な暴力を持ち合わせていて、
そして、他者を受け入れるようになる可能性がゼロだと確定していたら、
我々は、その存在を排除する以外に自分を守る術がない。
 
「処分する」とは、4号を人間として扱わない、という詭弁にも聞こえる。
だが、社会性を持つのが人間だとして、4号はまさしく人間ではない。
むしろモンスターに近いのではないかと。
 
んで、見逃した回でもうひとつ。
「モンスターは人間が人間社会を作るときに区別された」
のだそうだ。それまでは未分化だったということか?
モンスターを制御するのも、意思持てるメロスの戦士であるのなら、
モンスターとは、イデオロギーや概念や宗教やその他の形而上の存在ではないかと。
つまり、人間の高度な知的活動の際に生まれた、
「現実世界とはかけ離れたところまで昇華された文明の『うわずみ』」
である。
それらは、意思持てる人間が扱っているうちは、思索の道具でしかなかった。
だが、意思持てる人間の支配下から、その『うわずみ』が解放され、
そして、意思持たざる猿人がそれに直面したとき、
それらは「大義名分」としてろくな制御も受けないまま暴走し、
あるいは、猿人の本能的行動の正統性を保障するものとなる。
知性的意思がどこにも存在しないゆえに、そこは無法地帯である。
猿人には『うわずみ』を制御するために必要な意思がないから、
永遠に『うわずみ』を受け入れるしかないわけだ。
 
『うわずみ』は、所詮うわずみでしかなく、またうわずみであることに価値がある。
そして、その『うわずみ』が間違っているとしたら、誰かがそれを改変しないといけない。
膨大な知的営みの上に出現した『うわずみ』を改変することは、
物理的にも困難であり、ゆえに、次善の策としてモンスターキングがいるのだろう。
 
理想的には、人類が全てメロスの戦士となり、
『うわずみ』と個人個人で対決するのが望ましい。
そして、動的に世界と関わるのである。
 
だが、それはいかにも無理がありそうである。
 
だが、それは「いかにも無理がありそうである」という『うわずみ』ではないか?
 
人類全てがメロスの戦士になること、あるいは、今よりもメロスの戦士が増えること、
それは、そんなに難しいことではない、という『うわずみ』もありうる。
 
それが『忘却の旋律』?
モンスターやモンスターキングが人々に忘れるようにしむけた真実?
 
もうすぐ終わりだそうで……残念ですが、楽しみです。