総括してみる

 
この作品がテーマとしていたことは何か?
 

  • 偽りの平和と真実の戦争
  • それに直面した少年たちの心
  • 異なる者たちの「共存」

 
まあ、そこらへんが、こむづかしくない捉え方。
私はさらに深く深く陥って見る。
 
「あなたはそこにいますか」
この言葉を、前回の覚書では
「お前はそこにいて、生きるのは痛いに決まってるんだ阿呆!」
と翻訳しました。
 
だが、こういう翻訳もありえます。
「あなたはそこにいますよ」
 
例えば、主人公、真壁一騎
彼は、戦う事で「自分がここにいられない」という感覚に襲われる。
親友の本心が分からず、自分の存在理由も分からない。
偽りの平和の外の世界を見ようとして、そして「見つける」
 
例えば、途中参加でレギュラーとなったカノン。
彼女は自分が「どこにもいない」と感じていて、
一騎に「お前が決めろ!」と言われて困惑し、そして「目覚める」
 
登場人物はみな、自分の居場所、存在価値に迷い、苦しみ、そしてその先に進む。
 
これは、自分探しをするような精神的に高度な、哲学的人々へのエールであり、
同時に自分探しなど必要ないと責任転嫁ばかりしている碇シンジたちへの皮肉である。
 
ヒロインは最後に「おかえり」と言った。
それは「私はここにいるよ」という言葉。
「私は、そこにいるあなたを覚えているよ」という言葉。
つまり「あなたはそこにいますよ」という言葉。
 
「私はここにいるのだろうか」と言う問いに答えるには、
彼女のような「他者」が必要なのです。
フェストゥムにとって、真壁茜が必要であったように。
 
他者を持たない人間は、自己を認識できない。
自己ですら、他者化して客観的にしか認識できない。
 
以上、リハビリをかねて、やんわりとこむづかしく。
 
私のこの文章を読んで、う〜ん?と思っているそこのあなた。
その時点で確かに「あなたはそこにいます」よ。