歌の系譜学?

似非ニーチェになるのは嫌なのですが(苦笑)
大量の「資料」を整理・分析することで生まれた、
彼の系譜学とは全く関係の無い、私の歪んだ認識を披露。
 
原始、言葉すら持たない時代、
それでも人は、喜怒哀楽を歌った。
獲物を取った雄たけび、死の悲しみの嗚咽
腹がふくれた満足の鼻歌
いや、それよりも 
母親が赤ん坊と会話するがごとくに、
その時代の言葉は歌だったのだ。
 
やがて、農耕が始まり余剰が生まれ、
神聖なる職業が生まれる。
神官・巫女と呼ばれる存在である。
彼らの別名を支配者という。
彼らは、原始の歌を昇華させた歌を歌った。
言葉を得ていた彼らは、己の根源的感情を神と呼び、
さらに、神に様々な名を付け、そして褒め称えた。
その歌は、暴力による支配を超えた力を持った支配。
 
忘却の旋律を思い出そう。
支配者は歌っていた。人の代わりに。
 
ここで分岐が起きる。
支配され、歌うことを神聖なる者に任せたら、
その瞬間に歌うことを忘れることができるものか?
否である。
心からの感情、喜怒哀楽を表現することを、
人間が止められるわけがない。
止められてたまるものか。
 
よって、ここに民俗歌謡が生まれる。
場合によって、それは神聖なる支配の歌と対立し、
メロスの紋章のように輝いた。
支配に屈せぬ民の絆の歌である。
 
やがて、近代化、理性の暴走の中で、
神聖なる歌は形骸化し、民俗歌謡は陳腐化した。
高尚な趣味、あるいは、刹那の享楽に成り下がった。
そして両方とも、戦争を境に力を一気に失った。
 
だが、戦後、人々に希望を与えたのも歌だった。 
美空ひばりは、歌を歌った。
明日への希望を歌った。人生の悲哀を歌った。
人はその歌に傷を癒し、明日への力を得た。
そして、自らも希望の歌を歌った。
 
それは、力となった。
新しい時代の巫女であり、新しい時代の民俗歌謡であった。
それは時空要塞マクロスによって、オマージュされるほどに、
強大で優しい力。なにより聖なる力であった。
 
だが、戦後を終え、大きな物語が力を失ったころ。
聖なる力はオマージュされ、パロディーされて力を失った。
アイドルとして結実したソレは、人間の根源的感情とは全く切り離された、
表面的要素の集積、刹那の享楽のため「だけ」の存在。
まるで「萌え要素」の集積であるアニメキャラのようである。
そこで歌は、要素の一つとして矮小化されてしまう。
 
私が今の歌を精神安定剤と呼ぶのは、そういう意味である。
現実逃避によって、一時の心の平穏を得る。だけである。
そこには、己の心の発現はない。絆もない。
もちろん支配などと言う力は発生しない。
 
ここで、私は一つの提案をしたい。
人間はそんなに変わるものではない。
私たちに歌う力が残っていないはずがない。
ならば、
カラオケで、聖なる歌を歌ってやろうじゃないか。 
さぁ、あなたもご一緒にどうです?
 
ひねくれた、こむづかしい返答で困ったかもしれませんが、
もしも、質問があっても一つだけにしか応えません。
 
corさん、貴方も自分の歌が歌える人であるはずだ。