ローエングリンを討て

 
この題名に込めた、作者の洒落を純粋に楽しめる人が
はたしてどれだけいるだろうか?
 
前作であれほど連呼された「ローエングリン」という単語、
それにまつわる視聴者たちのイメージ、
味方母艦の主砲、力強い援護射撃、友に戦うモノ、
そういったイメージをふまえて、もう一度題名を読もう。
ほら、なにか、感じたでしょ?
それが、作者の込めた趣向というヤツです。
前作とは陣営が違う、ということは頭では分かっているはず。
でも、改めてこうやって確認させられると違和感を感じる。
「あーよくあるよね、こういうパターンの題名」
と思うだけでスルーなのが、普通のアニオタさんたち。
そこにおかしみを感じるのが、こむづかしい楽しみ方。
多分、子どもたちの方が分かってると思うな。
 
では、内容にこむづかしく。
 
戦争で酷い事をされたら、酷い事をしかえしていいのか。
殺されたら、殺していいのか。
自分たちを人間扱いしなかった敵を、
今度は自分たちが人間扱いしないというのか。
 
その疑問をシン・アスカは、まだ見つけていない。
前作であれだけ苦しんだアスランだからこそ、
住民の笑顔を素直に喜べない。
 
普通に想像してみれば分かるはず。
連邦の中にだって、良い人はいたはずだ。
レジスタンスに同情的で、上司に意見を言うバカもいたかもしれない。
そのバカもひっくるめて殺したかもしれない。
 
それから、

  • 「エグイ描写すりゃいいと思ってんのかよ?」
  • 「そうそう、アニメなんだし」
  • 「ひでぇよなありゃ、子どもに見せられんぞ」

少なくとも私は、必要な描写だと思ったし、
今を生きる子どもたちには、教えてしかるべき「現実」だろう
と思っている。本気で。