議長に確定されたわけですが



なんと業の深いラスボスだろう


いみじくもアスランが看破したように、
キラとラクスが予測しているように、


議長は自分を英雄的な政治力の中枢とすることで、世界を変えようとしている。
言い換えれば、自分が新しい旗(ロゴス)となって、世界を支配しようとしている。
そのために、「全て」をコントロールしようとしている。
そのために、コントロールできるラクス、コントロールできるエースを作り出し、
そうやって、民衆を、世界を間接的にコントロールしようとする。
そのために、コントロールできない要因を排除しようとする。
ラクス・キラ・フリーダム・アークエンジェル
そして今、アスランとオーブまでも。
議長の考えこそが正義だ。それ以外は敵だ。


なんという理想郷だろう。


議長の理想が、普遍的真理、普遍的正義であると、
想定すれば、の話だが。
もちろん、議長の理想は歪んでいる。


議長は言った。
戦争が終わったら、幸せな世界にしたいと。
また、己の役割を果たすことが幸せだと。


だが、その役割を決めるのは誰だ。


議長は言った。
キラは不幸だと。アスランも不幸だと。


それは一体誰の目から見てなのか。


もっとわかりやすく言おう。
議長、アンタ何様だ。


役割を自分で決める自由は、そこにはない。
全ては、議長が演出したように進むべきで、それ以外はない。
議長と対等に対話できる存在など、そこにはない。
それは、「議長と対等に対話できる存在」として演出された存在でしかない。
全ては、議長の理想にしたがうべきなのだ。


どこぞの監督の自己投影か。
いや、どこぞの監督のように露骨ではないが。


ギルバート・デュランダル
このようなラスボス像を作り上げたその一点において、
ガンダムSEEDディスティニーは、傑作である。


名作ではないとは思うが。