足跡返し



ミクシィは、訪問したことが名前入りで確認できる、足跡、という機能を持っている。
普通のサイトでもそういうCGIをしこんでいる場合もあるので、あまり珍しくない。


と、思いきや。


足跡から相手のページに飛べてしまうのである。
そして、そのページに足跡を残す。
その足跡を見た人が、また足跡を(以下エンドレス
かといって、新しい友達ができた、というわけでもない。
足跡にはメッセージが付随していない。コミュニケーションですらない。
足跡は、足跡でしかない。相互に行き来してるから友達、ではない。
ミクシィ中毒の一端を見た感あり。
まあ、その点をフォローするために、足跡帳という手段があるのだが。
挨拶メッセージが足跡にくっついた所で、足跡は足跡でしかない。


「足跡返し」という文化もある。
足跡を残した人の足跡帳に記入する行為を言う。
あるいは、相互に足跡をつけあう行為を「踏みっこ」と称する向きすらある。


そこに会話はない。会話よりも幼稚な、原始的コミュニケーションと言おうか。
そういったものだと、私は思う。それは幼稚であるが故に手軽である。
そして、そういう単純なものには、中毒性があるのである。
それは、フリーセルソリティアマインスイーパを例に取れば明らか。


なにが言いたいかと言うと、そういうのって不毛じゃない?ということ。
折角なんだから、会話しようよ。友達になるキッカケにしようよ。
100人の足跡より、1人の話相手をこそ、私は求めるものである。