「占部」
 
徒然草兼好法師の家が「占部」だったなぁ、などと思いつつ。
 
大のために小を捨てるのは、正義の戦いには良くある事である。
良くあることだから許されるわけではないが。
 
だが、100人と1人のどちらかだけが生き残るのだとしたら、
年齢性別才能その他を考慮しなければ、100人を選ぶしかないだろう。
 
後にその責めを負うことを覚悟の上で、それでも選択するのが、
「責任者」と呼ばれる存在の、本来のあり方である。
 
だから「貞光」の言う事も、頼光が占部に言った言葉も、
まったく正しいと、私は思う。
 
エリート教育を悪として捨て去った現代日本には、かなり遠い話だが。