東京駅編「東京駅」
 
もはや、言うまでも無い。
東京駅に降り立ったメロスは、だめなメロスになり、山の手線をぐるぐる回る。
つまり、
上京した志ある若者は、挫折し、平凡にして鬱屈した大人になる。
そして、それは「猿人」だ。
 
その挫折は、モンスターの仕業だ。
現実のモンスターの実体は、特定の人間ではない。
人間の姿をして現れることもあれば、現実の厳しさの名を借りる事もある。
とにかく、それは忘却の旋律で言うところのモンスターだ。
 
もう一つの争いがある。
ボッカと小夜子。なんとなく恋人っぽいものになった二人。
「戦い」は他人に迷惑をかけない「孤独なもの」であるべきか?
「愛」「幸せ」とは「どんなときも共にあること」なのか?
 
ジェンダーを考慮した言い方をするならば、
(伝統的に)男性の思考と思われるのが前者。
(伝統的に)女性の思考と思われるのが後者。
 
ボッカは言葉に出して「好きだ」「一緒にいて欲しい」とまず言うべきだ。
その後に「でも、それで君を幸せにする自信は無い」と言えば良い。
小夜子は何が自分の「幸せ」であるかを言葉して伝えるべきだ。
その後に「私は貴方にとっての何?」と問えば良い。
 
二人はまず最初に言うべきことを言っていない。だから、すれ違う。
無粋といわれればそれまでだが。
 
来週は、総理大臣が大人代表として現実主義者の意見を言うようだ。