忘却の旋律

「世界を貫く矢のように」
 
最終回の一つ前。
 
前回書き忘れたが、あの牛美少女たちについて。
つまりは、人間が「家畜」として「消費」されてるってことだと。
美少女でエロであるのに、まったくそう見えない。痛烈な風刺。
のほほんと平和に「搾取」されているうちに、
一握りの戦う人々は壊滅してしまって、それでも悲しく歌うしかできない。
 
で、家畜ならその飼い主がいるはずだが、
その飼い主も「家畜」で、本来の意味での飼い主はどこにもいない。
どこにもいない、でも確かにいる、現代の人間が戦うべき相手。
それが、モンスター。
 
エージェントたちは言う。
「世界に選ばれなかった者たちよ」
「お前は世界に必要ない」
「世界から消えてなくなれ」
「メロスという概念すらなくなるのだ」
 
果たして、
世界が不変であり、人間の誤謬が改まる事がないのならば、
世界を変えようとする者、人間を良くしようとする者は、
世界を維持していく者、支配側の「家畜」から見れば、
「邪魔者」以外のなにものでもない。
支配される側の「家畜」から見れば、
お節介で、自意識過剰の「迷惑な存在」でしかない。
 
だが、世界は変わる。
世界史を見よ。日本史を見よ。
我々はそこに、確かにメロスの戦士を見る。
そして、メロスの戦士がモンスターキングを倒すのを見る。
メロスの戦士がやがてモンスターキングになるのを見る。
結局はモンスターキングの支配は代変わりして続く。
 
だが、それでも、世界は変わったのだ。
 
そして、今、
ボッカはモンスターキングを必要としない世界へと、
世界を変える戦いをしている。
 
世界はそれを拒絶している。
我々がそれを拒絶している。
  
ボッカの戦いは、我々の戦いでもある。
 
違うか?
 
余談だが、青年メロス同盟が壊滅したとき、
「ああ、あそこに私がいるな」
と思ってしまった私は、戦う前から敗者ということか。