反逆のルルーシュ



リヴァイアスエウレカセブンデスノート=?
原作はCLAMP、キャラデザはキムタカ。


とまあ、要素だけ取り出せば、あーはいはい、なのだが。
侵略された日本という構図には唸った。


日本は未だ占領から解放されていない。
また、特定亜細亜の「侵略」もかなり進んでいる。
だとすれば名前を奪われた「イレブン」とは、
国歌や国旗を奪われようとしている「我々」に重なる所がある、と思う。


そこで、どうせ自分には何も変えることはできない、と思うのが日本人。
ルルーシュは、正確には純日本人ではないが、
きっかけを得て、学生という弱い立場から反逆を試みる。
「イレブン」であるスザクは、天性の優秀さというか素直さとマジメさで、
きっかけを得て、占領側内部からの改革を目指す。


キラ・ヤマトアスラン・ザラの葛藤をはるかに超えた対立である。


さて、これからどうなる?

日本は良い国なのです。

○国歌斉唱、強制は違憲=「思想、良心の自由」侵害−懲戒禁じ、賠償命令・東京地裁

日本は良い国です
なんどでも繰り返します。日本は良い国です。

私の解釈は
「非国民も国民。日本国憲法はその存在を許す」

戦前・戦中の「非国民」への弾圧というか、圧力はすさまじいものでした。
だから、戦争反対と言い出しにくい世の中だった。

今の日本は、自分たちの国旗や国家にすら疑問を持って、その利用の仕方に疑問を持って、改善していくことができます。

他の国では考えられないくらい、自由な国なのです。日本は。

法的にはそういう結論がでた、ということです。
「日本に生きるものとして、大人としてその主張はどうなのよ?」
という倫理というか世界観の歪みとは、別問題なのを忘れないようにしましょう。

私は、日本好きですよ? 国旗もカッコイイ。君が代も大きな声で歌います。

足跡返し



ミクシィは、訪問したことが名前入りで確認できる、足跡、という機能を持っている。
普通のサイトでもそういうCGIをしこんでいる場合もあるので、あまり珍しくない。


と、思いきや。


足跡から相手のページに飛べてしまうのである。
そして、そのページに足跡を残す。
その足跡を見た人が、また足跡を(以下エンドレス
かといって、新しい友達ができた、というわけでもない。
足跡にはメッセージが付随していない。コミュニケーションですらない。
足跡は、足跡でしかない。相互に行き来してるから友達、ではない。
ミクシィ中毒の一端を見た感あり。
まあ、その点をフォローするために、足跡帳という手段があるのだが。
挨拶メッセージが足跡にくっついた所で、足跡は足跡でしかない。


「足跡返し」という文化もある。
足跡を残した人の足跡帳に記入する行為を言う。
あるいは、相互に足跡をつけあう行為を「踏みっこ」と称する向きすらある。


そこに会話はない。会話よりも幼稚な、原始的コミュニケーションと言おうか。
そういったものだと、私は思う。それは幼稚であるが故に手軽である。
そして、そういう単純なものには、中毒性があるのである。
それは、フリーセルソリティアマインスイーパを例に取れば明らか。


なにが言いたいかと言うと、そういうのって不毛じゃない?ということ。
折角なんだから、会話しようよ。友達になるキッカケにしようよ。
100人の足跡より、1人の話相手をこそ、私は求めるものである。

何をすればいいか分からない



仕事場の同僚から誘われて始めたはいいものの。
何をしていいか分からない。


とりあえず、知り合いを探す。
とりあえず、興味のあるコミュニティを探す。


までやってしまうと、あとは日記でも書くだけか?


友達の友達と知り合いになれます!って言うんだけど、
マイミクシィの知り合いへ飛ぶときのヒントが名前と写真だけ。
範囲>友達の友達まで 検索>ガオガイガー
とかで、同じ趣味を持ってる人を探すならまだ分かる。
マイミクシィを100人以上持ってる人からたどる場合、
総当りしか手段がないのがなんともいえない。


しかたないので、マイミクシィは無視して単語検索でめぐってみる。
ところが、無差別にたくさんの人の所に見に行くのは、
利用規約によると、あんまりよろしくないらしい。
(接続負荷の関係だとか)


どないせーちゅうねん、と。


コミュニティ経由で新しい友達を探す、というのが一番無難なのかな?


とりあえず、年上のお姉さま二人と友達になりました。
(誰だ、出会い系的運用だな、とか言う奴は)


はてさて、これからどうなりますことやら。
とりあえず、ここにはミクシィについての考察が、
今後展開されると思います。
ミクシィ知らない、やってない人はごめんなさい。


あと、現実の知人以外には招待状は出さないのであしからず。

桜蘭高校ホスト部とプリンセス・プリンセスについて

この題名をつけた段階で、何を言わんとしているか、大抵の人はピンと来るのではないだろうか。
性の逆転現象である。
少年は少女に、少女は少年に。
この時期にこの二作品がアニメ化されたことに、なんらかの意味はないだろうか。
と書いたら、「シムーン」もそうだ。というご指摘をいただいたり。
こういう性の逆転現象を、トランスジェンダーというらしい。
おとなしい男の子と活発な女の子。第二次性徴を迎える前の、その境界のあやふやさ。
誰もが体験した事のある、今現在の自分とは違う、そのころの自分。
それは、立派なファンタジーの世界となりうる、ということか。

何をしていたかといえば、司法試験を受けていたのである。

この1年、パソコンの画面につきっきりで事務をしていた私は、
どうやら事務処理スキルが上がっていたらしく、
マークシート方式に対して恐るべき速さを見せた(当社比)

何が幸いするかわからないものである。