不思議の海のナディア(再)

13話「走れ!マリー」
 
蝶々を追いかけていて、見知らぬ場所に迷い込む少女。
という、かなり古典的な表現だが、自然なことでもあり、
手法をとらない理由にはならない。
 
サンソンと怪ロボットの対決が、普通に面白い。
主人公が活躍しない回があること、脇役が脇役にとどまら
ないこと、
キャラ一人一人への愛が感じられる作品である。
グラタンも含めての怪しい機械たちの活躍も楽しい。
男の子は、メカが大好きなのである。
 
少しだけ、こむづかしく
 
ナディアは、前回の小鹿の件でまだ怒っている。
ジャン(を含む男衆)はそれが理解できない。
「食べたのね!?」「食べないと死んじゃうもの」
「野菜を食べれば良いのよ」「野菜を食べられない人は?」
「それはわがままよ」「そうかなあ?」
決定的にすれ違う口論。ナディアの中でうずまく人間不審。
それは、ネモ船長が負傷したガーゴイル兵を撃ち殺したことで、頂点に達する。
「人殺しよ!」
 
他者の命を奪うことは、いけないことである。
それは、人間性から直接導かれる感情に基づいており、限りなく正しい。
他者から奪う事で、人間は成長し繁栄している。
だとすれば、奪う事をやめることを、人間に期待することはできない。
 
同じ人間を殺すことは、いけないことである。
それを許せば、人間社会の秩序など、あっという間に原始以下になる。
殺される前に殺さねば、生き残れない。
人は自分の命が大事であり、不当にその命を奪われてはならない。
 
だから、どちらの言い分も正論なのである。
人類総ベジタリアン化については、否定するつもりはない。
だが、現実味の無い話であるとの実感があるだけである。
ただ食べ物への懺悔ではなく、感謝を忘れないことは重要だと思う。

他人(敵)を殺して自分が生き残るという、非日常において、
人類の智恵である法も、一般の感情もやむを得ないことと許容している。
どんな時も、他人を殺すことはいけないことだが、
他人を殺す以外に方法がないこともある。
現に、件のガーゴイル兵は銃を構え、発砲していた。
手当てをしようと近づくナディアを撃ち殺しただろう。
あるいは、流れ弾がジャンやマリーに当たったかもしれない。
それでも構わないと、ナディアは本当に言えるだろうか?
 
もっとも、ネモ船長が肩などを狙わなかったのは、
ノーチラス号は、ネオアトランティスに肉親を殺された人々の集まりである
ということとの、関係もある。
 
憎しみの連鎖 戦争状態 殺し合い 敵と味方
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