鉤爪の男考察2



ということで、続いて、最終回目前の今、出揃った情報を元に
鉤爪の男について考える。


狂信的な紳士、という予想は当たった。
唯一つ、紳士ではなく、老紳士だったことを除いて。
彼が老紳士であることには、必然性がある。
彼が目指すものが、「大きな物語」だからである。
既にポストモダンを超え、物語の不在が常態となった今、
大きな物語は、愛は理性は平和は調和は、狂信的な老紳士なのである。
大きな物語は、その巨大さゆえに、小さな物語を殺すのである。


対するのが、小さな物語、憎悪、嫉妬、そして昔ながらの孤高のヒーロー
であることも見逃せない。


ついでに言えば、ガンソードとは、
シン・アスカキラ・ヤマトラクス・クラインを倒す物語である。


意味は各自考えてください。
ちなみにミハエルの声優が保志氏だからではない。


大きな物語が不在の今、大きな物語の二つの書かれ方は興味深い。
どちらが上とかどちらが下とかは、この場合ありえない。


ちなみに、大きな物語であるはずの正義が、小さな物語の側なのは、
昔、大きな物語がまだ有効だったころ、正義の味方は小さな物語を守る、
という大きな物語だったことに起因する。


釈迦に説法な向きもあろうが、次回は、
「そもそも、大きな物語とか小さな物語とか、物語の不在ってなにさ?」
という方の為に、ちょいと講釈をぶちたいと思う。


期待せずに待つよろし。